■ A MIRACLE FOR YOU ■ 4 スバルのキーを持っていて助かった。 公園まで走って、停めたままのスバルの前まで来て、やっと自分がキーを預かっていたことに気がついた。 でなければ、1人公園で野宿でもしないといけない所だった。 助手席側からドアを開いて、サイドシートを倒して後部座席に滑り込む。 なんとなく、サイドシートにはいたくない気分だった。 後部座席のごちゃっと物が溢れている所の方が、落ち着くような気がしたから。 蛮と軽い口喧嘩をした時なども、銀次は、こんな風に拗ねて後部座席に籠城する。 まあ蛮にしてみれば、狭い車内での、いわば『短期家庭内別居』のようなものだから、大抵は銀次がそれで気が済むか飽きるかするまでは放っておく。 なので、あまり銀次にとっては得策ではないのだが。 それでも本当に極たまには、反省の意味も込めて(かどうかは定かではないが)、ホットコーヒーなどの差し入れもあるから、『オレは怒っています』の意志表示としては、まあまあ成功していると言えるのかもしれない。 ――が。 今夜は、いつもとは違う。 「あ〜あ…。オレってサイテー」 鼻をぐすぐす鳴らしながら、後部座席で膝を抱え、銀次がしゃくり上げながら小さく呟く。 それでも、ふと公園の時計を見上げ、もうすっかり午前0時を回っていることを確認すると、また力なく項垂れた。 言ってしまった言葉は取り戻せない。 普段でもそうなのに。 よりにもよって、誕生日に何もあんなこと言わなくたって。 ”おめでとう”を言う筈が、嘘を暴露した上、盛大に責めてしまった。 なんてことをしちゃったんだろう―。 あーあ。 オレのバカ。 いつも蛮ちゃんに、バカだバカだって言われてるけど、こんなにバカだなんて知らなかった。 本当に最低。 何やってるんだろう。 みんなの前で、蛮ちゃんに恥かかせちゃった…。 もう本当に、これ以上なく最低。 きっと呆れてるだろう。 みんなも。蛮ちゃんも。 もしかして、もう嫌われたかも…。 いやきっと、絶対。 嫌われちゃったよね…。 もう、テメーとはやってられねえ。 って、そんな風に言われたらどうしよう。 人一倍、プライドの高い蛮ちゃんだもん。 あんなこと言われたら、そりゃあ怒るよ。 ゲットバッカーズは…。 解散すんのかな? 今日限り。 嫌だ、そんなの。 蛮ちゃんのお誕生日がきっかけに解散なんて、そんなの絶対やだ。 そんな理由じゃなくったって、もちろん絶対嫌だけど―。 あーあ…本当に。 まさか、こんな情けない気持ちになるなんて、思ってもみなかった。 蛮ちゃんにちょっとでも”嬉しい”って思ってほしかっただけなのに。 それだけ思って、頑張ったのに。 眠くても、寒くても。 つらいことなんて、なかったのに。 最後の最後で、コレだなんて。 いったい、オレ、今まで何をしてきたんだろ…。 もしかして。 自己満足のためだけだったのかな。 蛮ちゃんの気持ちとか、そういうの考えずに。 オレは、蛮ちゃんを好きなオレのために、 そうしたかっただけなのかな? そういう自分に浸って、楽しかっただけなのかな? だとしたら。 本当に、最低で最悪だ。 蛮ちゃんが、帰ってきたくなかった気持ちも、もっともかもしれない。。 そんなわざとらしい祝福なんて、自分が感謝してもらいたいための祝福なんて。 誰もいりはしないもん――。 ジャケットの中に大事に抱え込んでいた、紙袋を服の上から握りしめる。 蛮ちゃんの、マフラー。 一生懸命編んだけど。 だけど。 もう、こんなの…! いっそ、電撃で焼き払ってしまおうか―。 そんな考えが、ふいに頭をよぎった時。 コンコンと、スバルの窓を叩く音がした。 「こら、開けろ」 はっと顔を上げる。 蛮が、車の外から、ガラス越しに銀次を見下ろしていた。 「―蛮ちゃん」 「開けろっての」 「え…? あ」 「寒いっだろーが! 銀次!」 「あ、うん―」 それでも、エンジンの掛けられてない車中ももちろん寒いので、すっかりかじかんだ指先はなかなか自由にならず。 ロックを外そうとするのに手間取って、ようやくそれが開かれると、蛮が待ちかねたように運転席に滑り込んできた。 少々乱暴にドアを閉じる。 「ったくよー。テメーにキー渡しとくと、ろくなことがねぇな」 舌打つように言われると、先ほどのことを叱責されているようで、銀次が後部座席で気まずそうに、運転席のシートの後ろに視線を添えた。膝を抱える。 その頭をミラー越しに見、蛮が心持ちため息混じりに肩を落とした。 そして、上体を返すようにして振り向く。 「銀次」 「…うん」 「――おら」 「えっ、うわぁ! あちち!」 前置きもなしに、いきなり熱い缶を頬に押し当てられて、銀次がその熱さに驚いてシートの上で飛び上がる。 「大袈裟だっての。ほら寒ぃだろ。それでも飲んどけ。ああ、ったく―。車ん中でも冷えんのは、外とちっとも変わらねぇな」 ぼそっと言い、また前を向くと、蛮が自分用のブラックコーヒーを開け口にする。 銀次が、手の中にいつのまにか握っていたカフェオレを見つめ、涙に濡れていた目を手の甲でごしごしと擦って蛮に言った。 「あ、あんがと… ていうか、蛮ちゃん。…コレ。もしかして、オレのために買ってくれたの?」 「―一仕事終えて、喉が渇いたんだよ。テメーのは”ついで”」 「”ついで”…か。あれ? でも蛮ちゃんは、さっきホンキートンクでコーヒー飲んでたんじゃ…」 「――うるせぇよ」 否定しないそのぶっきらぼうな口調に、自分へのやさしい気持ちを察して、銀次が小さく微笑みを浮かべる。 そして、膝を抱え直すと、缶をぴと…っと自分の頬に押し当てた。 あったかいー。 それだけで、嬉しくて、また泣きたくもなる。 缶を開けて、あたたかく甘いカフェオレを一口ごくりと飲みこむと、落ち込んでいた気持ちがゲンキンにもあっという間に浮上し始める気がした。 言葉を交わさず、しばしそうしてお互い熱い飲み物で気持ちをほぐして、やっと落ち着いてきた銀次が、ためらいがちに口を開く。 「蛮ちゃん」 「――あ?」 「ごめん…」 「何が」 「さっき、ごめん… あんなこと言うつもりじゃなかった…」 怒ってるんでしょと言わんばかりの口調に、蛮が苦笑する。 両肩が聳やかされた。 「ったく。17日にぎりぎり滑り込みセーフってことで、一応面目保っておくかと思ったのによ。いらぬ暴露までしやがって」 「…怒ってる…よね?」 「当然だろうが! ヘブンに、仕事終了後の2時間分、きっちり値切られたじゃねえか」 「…ゴメン」 「ったく、アホが」 「――うん。ゴメン」 自分のことはさしおいて責めるような口調の蛮に、銀次がそれでも素直に謝罪する。 「でもさ、蛮ちゃん」 「あー?」 「あれ、本当だから」 「アレってなぁ、どれよ?」 「オレ、蛮ちゃんの生まれた日に本当に、蛮ちゃんに ”おめでとう”と”ありがとう”を、ちゃんとみんなの前で言いたかったんだっだ―。プレゼントとかそういうのは、もしかして、オレの独りよがりだったかもしれないけど…」 言って、またジャケットの中に隠した紙袋にそっとふれる。 蛮があきれたように、それに返した。 「言いたかったも何も――。さっき、派手に披露してたじゃねえかよ。でけえ声でよ」 「…あ。いや、ああいう、そのー。怒鳴ったりじゃなくて、ですね」 「んじゃ、どーよ」 「もっと、こうしんみりと。蛮ちゃんにプレゼントとか渡しながら…って、そういうのがよかったんだけど」 「贅沢抜かすな。だいたい、何も人前で宣言するようなことでもねぇだろうがよ」 「だって、”感謝状”渡すみたいにしたかったんだもん。――あ、でも。二人きりの時のがよかった? みんなの前じゃなくて」 「誰も、んなこたぁ言ってねえ」 「もう、蛮ちゃんー」 けど、もしかして――。 今だったら、受け取ってくれる? お誕生日過ぎちゃったけど。 二人きりだし。 銀次が思う。 プレゼント。 渡そうか。渡すまいか。 どうしよう。 さっきは、もうこんなもの、電撃で焼いてしまおうかとも思ったけれど。 けど動機はどうであれ、これを作った気持ちには嘘はないと思う。 蛮を想って、一生懸命作った。 気持ちも込めた。 それこそ、本当にたくさんの”おめでとう”と”ありがとう”を―。 懸命に込めた。 喜んでくれなくてもいい。 やっぱり、渡せたら、と思う。 けれど――。 なんだか最初の勢いが削がれてしまって、どうにも勇気が出ない。 今日がもう誕生日じゃない、『普通の日』になってしまったというせいもあるだろうか。 誕生日にかこつけてでも渡さなければ、オトコがオトコに編んだマフラーなど、ちょっとプレゼントし難いもののように思えてしまう。 ――どうしよう。 後部座席でもじもじしつつ、すっかり黙り込んでしまった銀次に、蛮がやれやれと肩を落として特大の溜め息をついた。 「――ったく。じれってえな」 「え?」 「おら、寄越せや」 前を向いたままの蛮の手が、突然に銀次の目の前ににゅうと突き出された。 意図がわからず、銀次はきょとんとそれを凝視する。 「オラ、さっさとしろって!」 「え…? っていうか、あの、何を―?」 「ああ、もう! 受け取ってやるから、さっさと寄越しやがれっての!」 「――あ…」 やっと意味を判じて、銀次がぱっ!と真っ赤になった。 予想だにしなかった蛮の催促に、しどろもどろになって弁解する。 「え、えとあの、あ、なんで、なんで知って―って、あ、あ! もしかして、夏実ちゃんに聞いたの?」 「は? なんで夏実が出てくんだ?」 「あ、じゃあ、あの、えっと。なんで? いや、なんでって言うか、そんなことよっか、ああ、いや、やっぱなんで、蛮ちゃんが知ってるっていうか」 「なーに言ってんだ、テメエは」 日本語になってねえ!とミラー越しに睨まれて、銀次が困惑しまくった様子でそれを見返す。 「ごめん。あ、でも! あんまりうまく仕上げられなくてさ。その、そう、あんま自信作じゃないんだ。それに、もう…。もう17日、過ぎちゃったし―」 「その日限りってやつか?」 「え?」 「期限切れってか? そういうモンかよ」 つまらなそうに言われ、その口調がわざと煽っているのだと知りつつも、銀次がついムキになる。 「え、ちがうけど…! その日限りとか、そういうんじゃ絶対ないから!」」 「御託はいいっての。ま、渡したくねーってのなら、無理からブン取るなんてこたぁしねえけどな。コッチも、そこまで自惚れちゃいねえからよ」 素っ気無いような蛮の台詞に、銀次がそれでも”え?”という顔になり、一拍おいて、おずおずと言う。 「あ、いえ、あの蛮ちゃん…。自惚れてくれてて、いいんだけど―」 「……あ?」 煙草を胸ポケットから取り出しかけて止め、身体ごと振り向く蛮に、目元をまだ真っ赤にして銀次が上目使いになって言う。 「自惚れてくれてて、いいよ―。その日限りなんて、そんなもんじゃないから。オレの…。ココにあんのは」 言って、自分の胸を右手の拳でとん、と叩いた。 そして、少々切なげに瞼を伏せかけ、それを完全に伏せる寸前で止めて睫を持ち上げ、蛮を見つめ直す。 正面から、真剣そのものの瞳で見つめて、けれども口元は微笑んで。 「ずうっとね。ずっと続いてく――。たぶん、オレが死ぬまで… ううん、死んでも、ずっと。この気持ちは変わらないと思う。蛮ちゃんを想う、大好きだって気持ちは……」 あまりに瞳の懸命さに、蛮が気押されたように、逸らすことも出来ずにその琥珀を見つめ返す。 きれいなだけでなく、こういう決意のようなものを秘めた時の銀次の瞳は、とにかく迫力がある。 ややあって、やっと視線を外すことを許されて、蛮が甘く眼を細め、笑みを浮かべた。 今度こそ、胸ポケットから煙草を取り出す。 「……ばーか。マジになりやがって」 「だってさ」 「ヤローが、ヤローに言う台詞かよ」 茶化す言葉には、笑いが混じる。 嬉しいと、あからさまにそう答えているようなものじゃねえかと、蛮が心の中で自分に舌打つ。 「だって、本当だもん。しょうがないじゃん」 包み隠さない気持ちのどこがいけないの?と言わんばかりの銀次に、蛮が反応に困り、指先に一本持ったままになっていた煙草の端で、その箱をトンと叩いた。 「…ったく、オメーはよ」 今度は、心中ではなく、実際に舌打つ。 「だって、蛮――…」 言葉が途切れた。 シートの上から蛮が、後ろの銀次に向かって手を差し伸べる。 告白されてるコッチの方が切なくなるだろうがとそんな表情をして、俯く銀次の頬に蛮が手の平でふれ、顔を上げさせた。 そして、項から金色の髪に指を差し入れて引き寄せて、運転席で上体を返したまま、そっと銀次の唇を塞ぐ。 大切な宝物にふれるかのようなやさしいキスに、銀次が静かに瞼を伏せた。 目元が赤く上気する。 ふれる時と同じくらいのやさしさで唇が離されると、蛮は照れたように、サッと自分のシートに前を向いて腰掛け直した。 笑みを含んで言う。 「しゃあねえ。貰ってやるよ」 「…えっ」 口づけの余韻にぼうっとしていた銀次が、いきなりの言葉に眼をしばたたかせる。 「オメーの気持ちなんだろ? なら、どんなに不出来でも、んなこたぁ関係ねえ」 「蛮ちゃん…?」 琥珀が驚いて見開かれる。 「不細工でも、下手くそでも、テメーの”気持ち”の入ったもん、オレがいらねえわきゃねえだろう?」 少々早口な、それでも銀次の”告白”に対するきっぱりとした答えに、今度は銀次の方がどう反応していいかわからず、きゅっと唇を噛む。 片想いだとは今更思ってはいないけれど、気持ちを返してくれるとは予想していなかったから、しばし、それに混乱する。 そして困ったあげく、運転席のヘッドレストを片腕に抱いて、蛮の肩に後ろから切なそうに顔を伏せた。 「蛮ちゃん… ありがと…」 甘えるように呼んで、首元に頬をすり寄せると、”くすぐってぇよ”と笑って、大きな手が髪をくしゃくしゃと撫でてくれた。 あったかい。 うれしい。 素直な気持ちが、勝手に心で言葉を紡ぐ。 「毎晩、ろくに寝もしねぇで無茶しやがって」 独白にも似た呟きに、銀次の肩がぴくっとなった。 驚いて、思わずといった感じで顔を上げる。 「蛮ちゃん…。知ってたの…」 視線を上げると同時に、ルームミラーの中のあたたかな紫紺の瞳に出会い、銀次が泣き出しそうな顔になった。 「テメーの考えそうなことぐれぇ、お見通しだっての」 鏡越しに瞳が合うと、少し照れ臭そうに紫紺の方は細められた。 そっか…。 なぁんだ、知ってたんだ―。 そっか、それで、蛮ちゃん―。 余計に帰ってきたくなかったんだ。 なんたって、筋金入りの、どうしようもない照れ屋さんなんだから。 どうしたって誕生日が嫌だとか、そればっかりでもなかったんだ。 考えて、銀次が微笑む。 「ところで、よぉ」 「ん?」 「いい加減、コッチ帰って来いや」 蛮が、くいっと左手の親指でサイドシートを差し示す。 銀次がそれに、”そっだね”と笑んで返し、狭い車内をどうにかこうにか移動する。 天井が開いたりしなければ、大のオトコがこんなサイズの車の中を、ドアを通らずに後ろから前に移動するのは全くもって困難なことなのだが。 それでも何とか、ストンと自分の指定席でもあるサイドシートにつくと、銀次は早速とばかり、改まって蛮の方に向き直った。 「あ、じゃあ、えっと」 コホン、と一つ咳払いをする。 蛮は、さすがに苦々しい顔つきになった。 まあでも、貰うと宣言した以上、銀次の”形式”に従ってやるのが礼儀ってもんだろう。 シートの上に蛮の方を向いて、ちょこんと正座する銀次に、蛮がやれやれと片手で前髪を掻き上げる。 一応、心持だけ身体を左側に向けてはみるが、顔はどうしたって逃げを打つ感じでフロントガラスを向いてしまう。 構わずに、銀次がにこりと笑んで言った。 「蛮ちゃん。お誕生日おめでとう。それから、生まれてきてくれて、オレと出会ってくれて、本当にありがとう。…蛮ちゃん」 「…ああ」 大事に差し出された紙袋を片手で受け取って、さすがにじっと見られているのは堪らねえと、期待に満ちた目で自分を見る銀次の顎を掴んで、ぐぐっと明後日の方向を向かせ、その間に空いた右手で袋を開く。 「…!」 取り出すなり、驚愕にしばし紫紺は見開かれた。 正直言って、まさかこれほど(銀次のレベルで)のものを作っているとは、予想していなかったのだ。 青紫のマフラー。 やわらかくて、あったかそうな。 無限城で雷帝が編物をしている姿など、どうしたって想像の範囲外なのだから、ということはここ数日の俄仕込みでここまで仕上げたということか? それで、あれほど…。 考えて、胸の奥が熱くなった。 「へえー」 そんな想いは、ついとも表に出さず。 感心したように声を上げ、銀次の顔を押さえていた手を離すと、まじまじと広げて、蛮がその長いマフラーを観察する。 「まさか、テメエが編んだのかよ?」 「うん!」 銀次の瞳がさも恥ずかしそうに頬を染めて、それでも、再び期待を込めて蛮を映した。 もう”ほめて、ほめて”と、そう言わんばかりなのが、微笑ましくて可愛らしい。 それに答えて、大いに笑いを含んで蛮が言った。 「スゲエ、へったくそ!!」 「んあ! ひどい、蛮ちゃん〜!」 がーんと大袈裟にシートに突っ伏す銀次に、けらけら笑いながら蛮が言う。 「だってよ、なんつーか穴だらけでよ。ここいらへんとか」 「わ、そんなじっくり見ちゃ駄目なのです! ていうか、そうやって広げて見るもんじゃないし!」 「いや、どうせだからじっくり見ねえと」 「見なくていいの! 巻くもんでしょ、マフラーなんだから!」 「つってもよー。オラ。ここんとこなんか、指2本楽々入るぜぇ。ユルイって! あ、なぁんか、テメーの後ろもこんな風によー…」 「うわあ、ちょっと! ヤラシイ手つきで、編み目広げないでよ、もう!」 「んだよ、感じたか?」 「…怒るよ。蛮ちゃん」 「まーまー」 「まあまあじゃないってば!」 「それにしてもよ。長ぇぞ、コレ。アホみてえに」 「アホって! あ、けど、長いの?コレ」 「長いだろーが、誰が見ても! 踏んづけてつまづくんじゃねーか、マジで」 「本当? あ、ほんとだ。長ーい。へー、蛮ちゃんて、意外に思ったより背小っちゃい… イデェ!」 「テメーのマフラーが長すぎんだろうがよ!」 「あ、でもさ。へへ。これって、長いから二人で巻けるかも。ほら」 運転席の足下まで垂れ下がるマフラーの端を持って、銀次がそれを自分の首に巻き付けて、えへへvと笑う。 「……こっぱずかしいことすんじゃねえ」 「車の中なんだから、別にいいじゃない。誰も見ないよ」 「車ん中だから、余計に妙なんじゃねえか」 「そう? ――あ、ところで、蛮ちゃん?」 「お?」 「どう? あったかい?」 マフラーの片方の端を自分の首に巻いたまま、そっと蛮の耳元に唇を寄せて銀次が尋ねる。 蛮が一瞬瞠目し、それから次第に微笑んで、銀次の髪をその手の中でくしゃくしゃっと掻き混ぜるようにして撫でた。 「……おうよ」 「本当?」 「ああ―」 頷いて、銀次の肩を抱き寄せるようにして、そっと、その耳に得意の低音で蛮が返す。 テメーにだけ聞こえればいいんだと勿体つけるように、囁くようなそんな微かなボリュームで。 ――ああ。すっげぇ、あったけえよ…―― 銀次にしか見せない取っておきのやさしい笑みをして、蛮が囁く。 「蛮ちゃん…」 呼ぶ声が、微かに震えた。 「―あ、ちょっと。ヤバイ」 「あ? んだよ」 「ヤバイ、ヤバイ…。ちょっとコッチ見ないで、蛮ちゃん」 「は?」 いきなり蛮から身を離し、サイドシートの窓側に顔を持っていく銀次に、蛮がどうしたとばかりにその身体を引き寄せる。 「銀次?」 「わ、蛮ちゃん! だから、ね、ちょっとだけ、待って。ちょ、ちょっと離して、蛮ちゃん…っ!」 蛮の腕から何とか逃れようとする銀次の思わぬ抵抗に、蛮がさらに不審に思い、強引にその両腕を捕まえて引っ張る。 「ちょ…! やめてったら、蛮ちゃん!」 「んだよ、どうしたってんだ」 「だから、離し…!」 「――――ッ……!」 「おい?」 離せとさんざん暴れたかと思いきや、いきなりその胸にがばっ!とぶつかるように顔を埋めてきた銀次に、蛮の手が慌ててそれを抱きとめる。 その胸の上で、すすり泣くような声が漏れた。 「銀次? どうした――?」 震えるその身体をしっかりと両腕に抱き締めて、しゃくり上げ出した背中に宥めるように手の平を添える。 「蛮ちゃ…… あんがと…! オレ、喜んでくんないかとおも…って、ずっと、心配だったか、ら。…だか…ら、嬉し……!」 何を泣くかと思えば―。 蛮の眉が、溜息と同時に力なく下がった。 呆れたように、その泣きじゃくる肩を抱きしめる。 髪を、背中を、宥めるように撫でてやると、それは余計に涙を誘うらしく―。 涙を堪えようとするけれど失敗して、また蛮の胸に再度突っ伏して、やさしく宥められては涙する。 まるで子供じゃねえかと呆れ果てるが、そんな銀次はどうしようもなく愛おしい。 蛮も銀次に付き合って、子供にするように、何度も何度もやさしく根気よく宥め続けた。 「こら―。んなに、泣くような事かよ。銀次…。おら、ぎーんじー? オイってよ。テメー、んなことで泣いてちゃ本気でバカだろうがよ。ったくよー。ああ、マフラーが鼻水だらけになっちまうぞ、オイ」 ――泣きてぇのは、コッチだぜ。 思いつつ、回想する。 銀次が、夜中にスバルを抜け出した最初の夜。 銀次の気配が、隣から消えると同時に目が覚めた。 トイレかと思ったが、被っていた毛布までないのが気になった。 それで、そっと気配を消して、銀次を探してスバルを降りたのだ。 車から少し離れたベンチの上で、毛布をすっぽり被って銀次は居た。 何事がブツブツ呟きながら、手元を凝視している姿に、蛮が不審そうに眉を潜める。 何をしているのかまでは判じ得ないが、肩越しに覗く真剣な眼差しと、必死の形相に、つい声を掛けそびれてしまった。 凍てつくような真夜中の寒さに、身も心も凍り付きそうになりながらも、蛮は物陰から、長い時間ずっとそれを見続けていた。 なんだか思うようにいかないらしく、時折悔しそうに唇を噛む。 それから、かじかんで動かなくなってくる指先に、時折はーっと息を吹きかけた。 寒さに、毛布越しにさえ、その背中や肩がぶるぶる震えているのがわかる。 そして、うまく出来ない自分に苛立つかのように、何度めかにぎゅっと唇を噛んだと同時に、銀次の目元に微かに悔し涙が滲んだ。 それをぐいっと手の甲で拭って、自分を励ますように何事か呟く。 いったい、そうまでして何を、と思った時。 やっとどうにかうまくいったらしい銀次が、ふいに顔を上げて、笑顔を作って月を見上げた。 その声が、真夜中の風にのって蛮の耳にまで届く。 「でもね、かならず、蛮ちゃんのお誕生日までに、ちゃんと仕上げるんだから…! でさ、蛮ちゃんにあったかくなってもらうんだもんねー。ねえ、喜んでくれっかなあ? お月さま」 オレのため? だと? 耳を疑った。 まさか、自分の誕生日のために? かつて、誰からの祝福も受けることがなかった、そんな日のために? しかも、こんな夜中にこんな凍てつくような寒さの中で。 愛おしさに、胸がつまって苦しくなった――。 そして。 翌日も、翌々日も、銀次は夜中にスバルを降りた。 そして、明け方まで戻ってこなかった。 寒さに震えるその身体を、何度、この腕に抱きしめて温めてやりたいと思ったことだろう。 睡眠不足と寒さと疲労とで、銀次は毎日かなり消耗していた。 日中それを見るにつけ、蛮はひたすら苦しかった。 その気持ちを嬉しいと想いつつも、もうやめろと、何度心の中で叫んだことだろう。 オレなんかのために、そうまでするんじゃねえ!と。 もうヤメロ。頼むから、やめろ。 何度も心で叫んでいた。 だからこそ。 それを受け取ることが、躊躇われた。 そんな、純できれいな真心のこもったものを、 自分は、贈られる資格があるだろうか。 価値などあるか。 忌まわしい赤子だと、 生まれ落ちたその瞬間から、 母にさえ忌み嫌われたこの存在に、 そんな価値など、果たしてあるか? ――そう、思った。 約2週間分の疲労と半日の気疲れが一気に襲ったのか、銀次は泣き疲れたように蛮の胸にもたれたまま、すやすやと眠ってしまっていた。 胸の上にある暖かな体温と、あどけない寝顔に、蛮がくすりと笑みを漏らす。 そして、腕を伸ばして後部座席から毛布を取ると、銀次の肩からそっと掛けてやり、自分も一緒にそこに入った。 2つのシートを、銀次を起こさないようにじわじわと交互に倒していき、銀次が楽に眠れそうな姿勢まで来ると、腕にもう一度抱き直す。 泣きながら寝入ったにも関わらず、口元に笑みを浮かべているのが、何ともいじらしい。 その笑みに、心の奥にまだ残っていた小さな氷のカケラまでが溶解していく。 己の価値が、どうとか。 そんなことすら、ちっぽけに思わせる、この相棒の懐の深さはどうよ― 誕生日なんて気にいらねえと、そんなことに卑屈になっていた自分が馬鹿馬鹿しくさえ思えてくる。 まったく。 かなわねえ―。 本気でコイツにゃ、かなわねえ。 思って、心の底から笑んだ。 なんとも爽快で、且つ穏やかな、そんな気分で。 寝入り端に銀次が言った、その言葉が脳裏に甦る。 『オレね、 蛮ちゃんが、自分の誕生日がいつか嫌いじゃなくなってくれるように、 できたら好きになってくれるように。 毎年、ずっと言うから。 おめでとう、ありがとうって。 ずっとそばで言い続けるから――』 銀次と自分の首に巻きついたままのマフラーは、ひどく暖かかった。 銀次とくっついて被る毛布の中も。 そして、銀次の頭がのっかっている胸の上は、それはもう――。 安心しきったような顔で寝息をたてている銀次に、蛮が想う。 オマエがそこに居て、オレの胸の上で安らかに眠っている。 この温もりこそが、最高の贈りものなんだぜ。 テメーのくれる、温もり、そのものがよ――。 それが此処にある限り。 もうオレにとって、忌まわしいものなんかは何一つねぇ。 オマエが、そこにずっと居ると、そういうのなら。 長―い一日と、それからその後の数時間を越えて。 蛮は、そんな幸福な想いに満たされながら、一晩中、銀次の金の猫っ毛を、いつまでも愛おしむように撫で続けていた。 END ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ああ、やっぱり年越しになってしまいました。(涙) でも、無事マフラー渡してあげることができて、本当によかったですvv 蛮ちゃん、幸せ?よね。 なんだかこうやって書いてると、ぐるぐる同じことばっかり書いてる気もするんですが。 前に書いた自分のものを読み返すことがほとんどないので、同じことばっか書いてても実はわからないのです。おおう。(号泣) ちょっとヘタレてしまった蛮ちゃんですが。 アンケートでマフラーに票を入れてくださった方々。こんなのでどうでしょうか? こういうのが読みたかったんじゃな〜いと苦情もいただきそうでコワイですが、できれば苦情ではなく感想など(笑)いただけると嬉しいですvv 何はともあれ。 遅くなってしまいましたけど、蛮ちゃん、お誕生日オメデトーvv novel <1 < 2 < 3 < 4 |